待降節の準備

 待降節は、主のご降誕を待つ期間です。教会のカレンダーには2回、紫で祭壇や覆い、祭服も紫で司式をする季節が2回あります。
 1回は主の復活を待つ四旬節。そして、今過ごしている待降節です。以前は、償いと回心という側面が強調されました。私も学生の時、シスター方から「おやつを我慢して貧しい人へ」と言われ、待降節に献金したことがあります。その時は深い意味もあまりわからず、さぼったこともあり、今では楽しい思い出です。
 大切なのは幼きイエス様との出会いにむけて心を備えることです。忍耐そしてなにより信頼をもって私たちの中に誕生してくださるイエス様を待つのです。
 私たちの人生の中にはたくさん待つ機会があります。お父さんやお母さんになるときこれから生まれてくる赤ちゃんために心を砕き準備します。私どもの事業体には病院があり、産科があります。新しくお父さんやお母さんになるために「母親学級」というのがあり、ご夫婦で準備をします。それに参加するご夫婦と道で会う時があり、とても幸せそうで、こちらも心が温かくなり、幸せのかけらをいただく気がします。
 人間の赤ちゃんを待つのでさえ準備に心砕くのですから、まして、いと高き方が小さきものになり、私たちの間に生まれてくださるのです。この方にとってはこの世界に生まれてくることは何のメリットもありません。2000年前、生まれる場所さえなく、生まれてからも迫害され、最後は十字架にかかり、私たち一人一人のために命をささげてくださいました。イエス様は御父からの最大のプレゼントです。大切な御子を、私たちを憐れむがゆえに、心が張り裂けるほどに愛されるがゆえにこの世界に与えてくださったのです。御父の愛は無償です。条件のない取引のない愛です。準備ができないから、罪深いからなどということもなく、何かしなければという取引もありません。
 しかし、そのプレゼントを受ける準備は必要だと思います。一人一人準備の仕方は違います。年齢やいろいろな環境で違うと思います。無理をして準備をするのではなく、私の心の中に暖かい光が訪れるのを信頼して待つのです。弱い光かもしれませんが、必ず温かく、やわらかく、幸せをもたらす光です。
 そしてもう一つ大切なのは、共同体として待つのです。共同体の一人一人の中にイエス様がお生まれになることをともに祈り会いながら、待つのです。
 祭壇下にある馬小屋には、これから家畜や羊飼いがおかれていくと思います。一つ一つ丁寧に待つ心をもっておかれていくことでしょう。教皇様は「この馬小屋は感嘆すべきしるしであり、素朴さの中にあっても喜びを告げ知らせるものです。」と言われたことがあります。
 特にこの府中教会の馬小屋は、教皇様がおっしゃるように、中庭にあるものはここを訪れるすべての人にしるしとして、そして祭壇の馬小屋は全世界の苦しんでいる人々とともにイエス様の訪れを共同体として待つしるしです。イエス様が私たちの中にお生まれになる聖なる夜に向かってともに祈りながら待ちたいと思います。           

福音史家聖ヨハネ布教修道会 池田順子
2021年12月5日