「離れているから繋がれることがある」

 四旬節第5主日を迎えました。今、遠い世界のように読んできたラザロの物語が急にリアルに響いてきました。
 かつて指導してくださった神父様がこうおっしゃっいました。「その年、その年のご復活の恵みがありますよ。」こんな状況の中でも必ず神は恵みを下さるはず、それはどんな恵みだろうかと探し続けながらこの四旬節を過ごしてきました。
 ミサにもあずかれなくなり、さらには教会にも入れなくなって「離れている」「離されている」状況が続いています。それでも私たちは祈りで繋がろうとしてきました。新型コロナウイルス感染の終息を願ってともに祈る中で、私たちは祈りで結ばれていると強く感じています。事態に振り回されないよう努めて心静かな毎日を送ってきました。ひとつひとつの花や木に目をとめ、季節を味わい、「今、ここ」におられる神に出会えるように耳を澄ませてきました。互いを気遣い友人とのメールのやり取りも増え、教会の友人とは日々の気づきをわかちあっています。ネットで配信される教皇様のメッセージや神父様方のことばにも支えられています。「離れているから繋がれることがある」と友人が言いましたが、新たな形で繋がっているのを感じます。そんななか、神と新たに繋がりたいという望みが私の中に強く湧いてきました。
 これから迎える聖週間、神と新たに繋がりたいという望みを抱いて、さらに歩んでいきたいと思います。過ごし方はこれまでとあまり変わらないと思います。動画配信のミサに与り、神父様方の出すメッセージに助けられてみことばを黙想し、祈り、わかちあい、そして今ここにおられる神の声に耳を傾けることに努めたいと思います。けれど、その日その日の福音を黙想するなかで、少しずつ自分がどこにいざなわれているのか示されてきたように感じています。聖なる三日間もミサにあずかることはできませんが、家でゆっくりと心を整え、イエスをお迎えしたいと思っています。

2020年4月7日
西部恭子