イスラエルの巡礼

 私は母が聖書からイエスの話を読んでくれたことをよく覚えています。イエスが生まれて神の国について述べておられた場所に魅力を感じていたのです。私たち皆、さまざまな映画や物語から、イスラエルの聖地を訪ねることなくイエスが御父から受けられた使命を果たしてこられた場所をイメージしているでしょう。そして、ニュースでイスラエルとパレスチナの間の戦争があり、いつも心配していることもあります。それにもかかわらず、旅行会社から10日間の巡礼の招待を受け取って、成田空港からテルアビブへと2018年11月12日高幡教会の5名の信者と一緒に旅立ちました。イスラエルで日本人の現地ガイドに助けられ、イエスが訪れた土地を訪問することができました。カイゼリヤとハイファ市からはじめ、初日のミサをカルメル山で行いました。それから、段階的に、ティベリアとガリラヤ湖のあたり、カペルナウムとマグダラの街を巡りました。北から、イエスが洗礼を受けたヨルダヌ川でミサを捧げ、エリコへ下り、クムランを通って死海に着きました。その後ベツレヘムに上り、ついに「永遠の都」エルサレムに到着しました。エルサレムでの3日間はとても素晴らしかったです。エルサレムを見ると特別な憧れに包まれました。イエスが歩んだ受難の道に一歩踏み出したとき、特別な恵みで我らの信仰が強められました。皆でエルサレムの都のため、そして、世界の平和のために祈ってきました。

 巡礼の呼びかけのメッセージとして、聖ペテロの手紙から次の節を選びました。「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」。なぜなら、よく考えてみるとイエスこそが私たちキリスト者の原由だからです。

 イエスは使徒トマスに言われました、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」。私たちの状態は、イエスの昇天の後の時代に生きていた人たちとそれほど変わらず、見ないのに信じているでしょう。逆に、多くの人はイエスを見ても、信じませんでした。体の目で見ましたが、神の子を認識するためには他の目が必要だったのです。ペトロの最初の手紙では、例えば、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」と。確かに、私たちが今信じているのは見たからではありません。主が訪れた場所を自分たちの目で見たので、今はもっと信じるようになったと言ってもいいでしょう。それは福音でしょう。

 帰国するために11月21日に空港へ向かう途中、遠くからエマオの村を見ました。二人の弟子がイエスにパンを裂くときに出会い、彼らの心の中にイエスの存在の温かさを感じたように、私たちもイエスの道を見て情熱と喜びを抱いて戻ってきました。今回の旅によって、私たちの心に抱いている希望の弁明をこれから出会う皆さんに少しでも伝えることができれば幸いです。

 カトリック高幡教会
主任司祭 ロールド・ザビエル 

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 「聖地イスラエルを巡って」

 はじめまして。カトリック高幡教会の森と申します。2018年11月12日~21日の日程で、ザビエル神父様と共にイスラエル巡礼の旅に行ってきました。聖書を読み、教会学校で子供たちに話して聞かせながら、いつか行ってみたいと思っていたので、こんなに早く行けたことを、とても嬉しく思います。

 そんなイスラエルに訪れて、最初に思ったことは、山に木が全く生えていない事でした。そこで生物が生きていくことを、自分には想像できません。その中で生きていける事を、人々が天の父の恵みと感じることは、とても自然なことだと思いました。

 巡礼は、カナ、ナザレ、変容の山、ガリラヤ湖、カファルナウム、マグダラ等、キリストが辿られたであろう地を巡り、それはまるで新約聖書を体験しているような感じでした。その中で、ある1枚の絵に目が惹かれました。それはペトロの首位権教会にあったモザイク画で、岩の上でペトロをなぐさめるキリストと、その岩に伏して祈っている聖ヨハネパウロ2世が描かれたものでした。もちろん、この巡った場所が、キリストが訪れた場所かどうか本当はわかりません。でも、エリコのザアカイの木と同じことで、目の前の光景は、聖書に書かれた出来事を十分に想像させてくれるのです。パパ様がキリストとペトロを想い描きながら伏し祈られたように。それは私に聖書を実感として感じさせてくれました。それは巡礼で得られた、大きな宝です。

 ところで、今回の巡礼で、私は最初に訪れたカイザリアでいきなり膝を捻りました。その先ずっと足を引いて歩く自分が、最後まで巡ることが出来たのは、他の皆さんが、自分のことを息子のように温かく接してくださったからです。そして、少ない人数だったからこそ、自分が追いつくのを待っていてもらえたのだと思います。今回のメンバーで、少人数ながらも、むしろ少人数だからこそ、素晴らしい巡礼が出来たことを心から神に感謝いたします。

  カトリック高幡教会
洗礼者ヨハネ 森 邦彦

エルサレム、オリーブ山展望