「AYDに参加して」

AYDに参加する前、アジアの青年と出会えることへの期待と英語が全く話せないことへの不安が入り混じっていました。しかし、プルワカルト教区にてインドネシア人・タイ人の青年と共に祈り、生活を送ったことにより、不安は一掃されました。出会ったすべての人が本当に親切で、「英語が話せなくても大丈夫だよ」と一言言ってくれ、優しさに触れることができました。本大会ではアジアの青年の活気、気持ちの熱さを直に感じ、良い刺激を受けることができました。
私の印象に残ってるAYDのイベントは8月3日本大会2日目の国別展示です。日本は福島第1原発に関する展示を行い、"平和の象徴"である鶴を日本のブースを訪れた人たちと一緒に作りました。アジアの人たちと一緒に日本の文化である折り紙をして、"平和の象徴"を共有できた時間は言葉の壁を越えられた瞬間であり、貴重な経験でした。
今まで日本でしかミサに与ったことがなかったため、本当にどこも一緒なんだろうかと正直疑問に思っていましたが、AYDにて初めて海外でミサに与り、ミサの流れや典礼、形式はどの国も同じなんだということを実感できました。基本的に英語でミサが行われていましたが、流れや典礼が同じであるため、今何をしているのか、何を言っているのかはすぐにわかりました。共通点が多い中でもインドネシアと日本のミサにおける文化の違いを感じる場面がありました。日本においてミサの中で跪くことはあまりない様に感じます。しかし、インドネシアでは跪くことが多く、そしてその時間が長いことに驚きました。さらに、AYDにて初めてテゼの祈りを経験しましたが、終始跪きながら祈ることにも驚きました。テゼの祈りにおけるローソクの光を見つめながらの沈黙の時間というのは、神様と向き合い、今までの自分と向き合うなかなかない時間となり、心落ち着く素晴らしい時間でした。高幡教会の青年とテゼの祈りを一緒に捧げたい、この素晴らしい時間を共有したいと思いました。
AYDを通し、信仰というものは各国変わらず、信仰に言葉の壁は関係ないことに気づかされ、アジアの青年の信仰の熱さに驚きました。そして、歌や音楽は言葉がわからなくても共に歌い、祈り、踊るなど人の心を結び合せることのできるツールであるということを実感しました。AYDに参加したことで灯った熱い心の火を消さぬ様、私自身の信仰生活を歩み、この経験をたくさんの人と共有していきたいと思います。

カトリック高幡教会 ペトロ 前納 駿